
|About|
|About|
Flowthという屋号は
流れ Flow
植物 Flower
呼吸 Breath
を元にした造語です。
一見、共通点が無さそうなFlowthの活動ですが、
本質に共通点があり、繋がってくるものに、
素直に流れに添うように歩み存分に信じています。
自身が救われた、今も支えてくれる、是らの共通点からFlowth は生まれました。
皆様が、心地良い流れ、深い呼吸を通して、本来の皆様らしく開花していく、
そんな、日々の、お手伝いができたらとFlowthは考えます。
みえること、みえないことをつないで、まんまるくが最近のテーマです。
さて、2023年。不思議な縁が紡がれ京都は吉田山麓の町家に場を開くことができました。
今世での一番のパートナーである自分の肉体、その一番外側の産毛と皮膚に
アプローチするシェービングで、余白をつくり回帰し磨いていく皆様の
大切な人生の拠所になれたらと日々、自身も空間も日々整えています。
施術を中心に心身への響きを。どうぞ必要なタイミングで、足をお運びください。
2024年、町家の二階は名が無いところから、連星として動き始めました。
年に一度、日本の伝統的なこと、また重なりのある方との催しを開催。
少しづつ私がメインで使う流れができ始め、2025年から、ゆったりと
月一の講座を開き始めました。そのタイミングで漣星と改め、2026年には
本格的に定期的に月に一度開いています。連星も漣星も、お客様がきっかけを
くださっています。Flowthと漣星は、一階と二階、心身と内側、他者と自分、
相反するようで一つ、陰陽のように連星のように、静かに今日も動いています。
北斗七星のような動かぬ軸をつくるきっかけになりますように。その周りの
余白づくりに。一日二部の時々一部、お昼すぎには閉まり、宣伝もしていません。
繋がっていく人のみ触させて頂くように、自分自身を大事にもできるようにしています。
私が今迄経験してきた事を、落とし込んでいます。そんな非言語からも様々
伝わっていたら嬉しく思います。非言語も言語も、みえないもみえるも、
霊性も人間も、どちらかだけでなく、私は、どちらも大事にしています。
世界に散らばっている欠片が自然に集まり共鳴し其々開花し循環していく世界。
そのようにできているのだと感じる日々です。一人一人の軸の回転から始まる。
最後に。調和した世界。いや宇宙となりますように。

|Profile|
|Profile|
Yumi
Flowth主宰
新潟県出身
京都在住
1児の母
|保有資格|
・管理理容師[理容歴20年]
・ナチュラルビューティースタイリスト
・AEAJアロマアドバイザー
・AEAJ環境カオリスタ
・AEAJハンドセラピスト
・メディカルヘッドスパセラピスト
|趣味・好きなものこと|
・居合
・Yoga
・武当太極拳
・石を見たり触ったりすること
・古に思いを馳せること
・動いた場に足を運ぶこと
|好きな言葉|
"人法地 地法天 天法道 道法自然"
人は地に法り地は天に法り天は道に法り道は自然に法る老子の言葉です。
人は大地を模範にして生きると良いよと簡単に言うと述べています。
この世を形作る" 源 "になっているものに身を任せて自然のままに生きてゆくのが良いと。
人は大地を大地は天を天は道を模範にして遡ってゆく。全ては万物の根源に辿り着き、
人も天地自然の一部、神羅万象の一部、と教えてくれています。私達人が模範にすべき大地。
その大地は何処にあるのでしょう?私達は全て繋がりひとつです。調和していくことに強く惹かれています。
この活動を通して、お伝え、表現できたらと想い、日々過ごしております。

|経歴・職歴|
|経歴|
◻︎保育園-小学生
美容の道を志す。母と一緒に行く美容室で担当してくださっていた東京からきたという
可愛いお姉さんに憧れて。いつも良い香りで、可愛くしてくれて、沢山話してくれて、
空間も全てが大好きで。『わたし、美容師に、お姉さんみたいになる!』(まだ美容師志望)
一人で絵を描く、何かつくる、が好きだった。弟と毎晩留守番をしていた時間が、
今のようにテレビもゲームもなく。全てつくる、が、嫌だった此の時間が育ててくれたと思う。
リカちゃん人形をカット、ストーブで髪型を変える(焦がす)、ペンでメイクするなど、
色々やりつつ、自分の髪型への拘りも強く恐らく保育園の先生を困らせていたと思う。
祖母の家は父母どちらも自然豊かな場所にあり、田畑、茅葺き屋根、植物や動物と暮らす、
山での暮らし、オフグリッドな暮らしは、この時期に経験させてもらい原点になる。
ティッシュは持ち歩かず、ヨモギをポケットにいれ、絆創膏もヨモギ。常にポケットにヨモギ。
ある年齢になり、周りに笑われて、おかしいんだと思い始める。しかし、周りに合わせたくなくて
一人で学校が終わると自転車探検を毎日し、食べれる植物がある場所、亡くなった動物のお墓にする場所、
土器にしやすい土のある場所で土を棒で深くまで掘り土器やままごとに使うお皿をこねて天日干し数日、
それに食べる植物を並べてオヤツに。段々と周りに仲間にいれてほしい子が現れて、ガキ大将のように。
両親は、ヤンキー寄り。母は前髪が工藤静香さんのようで黒塗りのワゴンRに、ユーロビート。
父は常にゴールドの太いネックレスに、柄シャツ。舐達磨的な。土器をつくっていたアパートから
一軒家を新築した事を機に引っ越し、転校。其処で、物心ついてきて、両親イケイケだね。と言われ、
漸く客観的に見れるようになってくる。引っ越して先でも土を探して川を探していたら石を投げられ、
此処は都会だと分かり、自然遊びは自宅前だけになる。変わらず土を掘り続けていた。祖母たちは自然崇拝で、
両親は人間的。反動でそうなっているんだろうと今なら分かる。私はそのどちらも好きだし、大事だ。
あ、道路で世の中が反対になればよいのにと股から顔を出して覗いていたら車に引かれる。でんぐり返しをして
助かる。また山菜を祖母と取りに行き、木の実だと思って沢山興奮して拾っていたら鹿の糞だと分かり泣き叫び
滅多に怒らない祖母が何してんだーと、怒った矢先に道が分からなくなり遭難。祖母の水や植物の知恵や直感で
一山超えて奇跡的に助かる。不思議な現象が重なり生きてるらしい。身体を動かす事が好きで日焼けが進みよく
アジア圏の方に間違われていたが、それは今でも変わらない。
◻︎中学生-高校生
拘りは止まらない。カットモデル、サロンワーク手伝い、家族友人知人のカットカラーなど経て高校卒業後に職業訓練校へ。
田んぼ道を自転車で、走りながら、泣きながら、『こんな田舎出てってやる!』が定番だった。中学は新体操に専念。
高校になり反動で?帰宅部に。祖母の田畑手伝いや、茶話会、帰宅手芸部で伝統的な手仕事を学ぶ、バイトをかなり頑張って、
お金は自分にベット、全てベットしていた。雑誌、CD、服、父親の影響もあり最先端のものを追っていたり。手にしたり。
チカーノの文化を知り、とある写真集に理容室にいるチカーノを見て、『カッコいい。これになるし、ここにいく。』と、決める。
理容に揺らぎ始める。先ずは日本で、離婚した両親に頼らないで一人で自立を、と、一人で高校三年の夏休みにバイト代を使って、
面接を受けその場で合格を頂いてくる。偶々面接が入りたい会社の社長だった。家庭事情や田舎から出たいこと、理容美容迷って
いる事を伝えると、【理容と医療だけが人間の首元に刃をあてれる】という言葉が何故か惹かれ理容に決めて学年で
一番初めに就職を勝手に決めてくる。離婚した母に【手に職があれば私のようにならないよ】と言われたのも憶えていて複数の
きっかけが重なり理容の道へ。母は、18歳で私を生み結婚。駆け落ちのような状態で保母さんの道を諦めていた。東京に行くのを。
また、面接の時に、美容と理容どちらも取得できる事、その場合はアート要素がある美容から始めたら理容の修行感あるロジカルな
内容に挫折する人が多いから理容からが良いという事が最終的な後押しに。当時周りはヤンキーばかりでアメ車に乗る人やギャング
みたいな人もいて。以前、星読みしてもらった時に私の持つ性質的にギャングの女ボスでもおかしくなかったよと言われる。怖い。
◻︎卒業後
高校卒業と同時に故郷の新潟を離れ、埼玉の職業訓練校へ。オールドバーバー勤務と並行通信制理容科で学ぶ。
オールドバーバー、と言ったものの、お洒落な場所ではなく、昔ながらの床屋さんだ。埼玉の複数店がある全国から
集まってくる学校も持つ大きな会社。此処に入れば、働ける、学校にいける、寮がある。一人でできる。其れで選んだ。
テレビで見ていた、あれだけ夢見ていた美容の世界ではなかった。初日に、黒マニキュアでビョウのネックレス
でサロンにいったら、叱られ、寮では五人相部屋の全くイメージが違う事に失望し、寮の屋上で毎晩泣くのが日課に。
基本的には男性がメイン(当たり前)なので、アウトローな方、路上生活されてる方、セクハラしてくる方、昭和の
女性を落としつ見てくる方が多かった。合間に介護施設への訪問理容等も行う。なんとか生活を送りながら理容師免許を取得。
アウトローな方は父母がそうだったからか、抵抗がなく、またきちんと向き合わせていただき真摯に技術や接客をしたら
寧ろ応援し可愛がってくださる、漢気ある方ばかりだった。カット、カラー、パーマ、パンチパーマ、一通りの技術を習得し、
介護施設へのボランティア等を重ねたのち、流行りのスタイルを追い続け成績を争う事、肌が弱い事、コンテストでは過緊張から
怪我や結果を出せないことが続いた事、また様々な人間の欲をみて、のし上がり、利益を手にする姿に触れた事から、強い疑問を抱く。
日常の指名やお客様からの反応が優先だという価値観、そして剃刀だけは謎の自信があり弱気な私が『日本で一番』と思っていた
事から、もう嫌になり、そして、『剃刀しからやりたくないですね』と、シェービング専門の理容師になりたいと上司にいきなり伝え、
さもなければ辞めると伝え、社長にOKをもらい、理容室でシェービングとエステのメニューを始める。(何にもキャリアも成績も無く
寧ろかなりの問題児対応をされていたのに、よく言えたものだなと思う。)パーテーションで区切る小さなスペースから始まり、
チラシ作り、配り、メニュー開発、化粧品取扱の為の様々、一人で始め、全て任せてくれた。あまり経たないうちに、女性客が増え、
他店からも視察が来るように。此れがシェービニストとしての始まりとなる。よく上司が快諾くれて、お金まで出してくれたなと、
改めて、振り返る。この時の経験、達成感が自信に、土台になっている。
◻︎資格取得前
会社の中でも服装やら髪型、振る舞いが不適合なんだろうなと感じる日々。常に、シェービングの空間をどうするか
指名の方や日常のお客様のことを考える日々。周りは普通の理美容師。その頃は剃刀専門はまず居なくて、
他にもカラーやパーマなど含めて専門という概念はない時代。小心者の私だが是だけは全く周りの目が気にならなかった。
然し乍ら一応会社員なので、休日、早朝、夜間も、講習会や練習、街頭宣伝や、行事、ミーティング、
寮生活なので、上下関係ゴリゴリなので、お世話や賄いづくりや買い出し、掃除、下働きも長かった。
体力も気力も時間もお金もなく。がむしゃらだった。理美容道具はかなり高額で親に頼らず学費や生活費もやると
家出のように出たので、周りに頼れず、20円のコロッケも買えないようなお金もない時期もあった。図書館に良く足を運び、
占いや精神世界、様々なジャンルのノートをつくり始める。お客様を人間を理解したいのが一番のモチベーション。
此処も土台になっている。寮には門限があり理容の世界の閉鎖的な遊びがない、おしゃれじゃないことに、いつも怒っていた。
この時の怒りは創造となり此方も今に繋がっている。夜中に窓から抜け出し、アメ車工場に行き、クラブに行き、
髪型も服装もかなり独特だった為(動物の牙をぶら下げていた)またまた更にかなりおかしな存在だと目をつけられ、監視される。
縛り付けは一番嫌いなのでどんどん態度が悪くなり、周りは敵で何もわかっちゃいない!と常に怒って不満で、
そのうちに生い立ちや両親にも飛び火して、悔しくてまた泣いてばかりの日々。今思うとだいぶ、人のせいすぎる。
生い立ちから家事手伝いというか様々な普通の事が分からなかったので、此処で家事や手紙の書き方、お金の使い方や
生活の仕方、挨拶や社会に貢献する事とは、を教えてもらったのは随分と後になり感謝に変わる。戦後の名残りのある
日本一厳しく、特殊な会社で、私達の世代が最期らへんの入社入学だと知る。確かに周りは脱走したり、夜の仕事についたり、
凄まじい動きの中で、競争も激しく、皆んな同じで。が強かった気がする。親戚の、叔父が下積み中のミスターマリックさんを
ラーメンで助けたというラーメン屋さんの経営をしていて、関東にいた時にいつもラーメンや支援してくれ、
『あんな厳しいところで資格とるだけで凄い。よく逃げなかったな。真正面から向き合って偉いぞ。』
それだけで救われて頑張れていた。人を育てていける人、損得なしで応援できる人、そんな姿を見せてもらう。
狭い世界から抜けたくて、好きのバランスをとりたくて、休みの日、大好きな巣鴨のブラックヘアサロンに
手伝いに行き始める。此の時に出逢えた人が今仲良くなる方に繋がってきたりして伏線回収は続いている。
◻︎資格取得後
怒りと不満からだと、今なら分かる。胃腸がボロボロになっていて点滴しながら仕事にいく日々。ある日、血しかでてこなくなり
新潟に帰るように病院に言われる。救急車でもいいくらいと提案されたが、20円のコロッケも変えない私が乗れない。母に怒られる、
迷惑を皆んなにかける、と、救急車の仕組みも質問する事なく憶測で決め、冷や汗をかきながら新幹線で自力で新潟へ。
病院で、『よくこんな状態できましたね。すぐ入院です。』と言われる。半年近く入院。集中治療センター的なところへ移動した
ほうがよいかも、という悪化していくばかりの時に、祖母の手作りの漢方で回復した事をきっかけに、植物に触れて育った自身の
ルーツの見直しを始める。鬱にもなっていて、退院後は暫くは様子がおかしく、独り言を言いながら嵐の中に川や海を歩いたりしていた。
入院中に何も食べれなくて、退院後に色々学んでいくうちに、内臓入れ替わったような気がした。休職しながら、休む
拠点を故郷の新潟に移し自然に触れる事で、ゆっくり全てが治癒していく。退院後は直感が働き始めたり神社仏閣に自然に行くように。
車でひとり旅もしたり。不思議な人、案内人のような人に会い始める。ある山に行ったら、『あなたラッキー!僕と話すだけで
何万円もするんだよ!あなた移動するよ!輝くよ!』と革ジャンに褌の男性が一番強烈な始まりの人。いきなり話かけてきた。
それから、一人旅するたびに、『宇宙人が人間に混じって何してやがる!』と年配のお爺さんが近づいてきて木の実をくれる。
何もわかってなかった私は『は?』と言い、生意気全開だったが、いい人なのが分かり一緒に蕎麦を食べご馳走になり電車賃ももらい
帰宅。色々変わり始めた私に母は常に心配を向けていたが私は私、が強くなり聞かない。他も色々あるが割愛。
被災地訪問やボランティアの経験を重ね独学で、アロマと環境に関する資格を独学で取得。アロマのホリスティックな面に更に惹かれていく。
◻︎再度東京からまた新潟
その後、きちんとした技術を学びたいとその時に日本で初めてという、女性理容師の地位向上のために
つくられた剃刀専門の高級サロンが東京にできたと分かり、面接しにいき合格。入社までは、またブラックヘアサロンで
少し働かせていただきつつ、アートや感性に振り切った先を学び、サロン勤務に専念。恵比寿三越勤務に。
住まいも少し自然に触れたくて上石神井に住む。今も色々繋がってくる、場所。芸能関係の方や経営者、様々な方を
担当させていただき、またスタッフも元CAさんや、モデルさんなど様々な事が学びになる期間。指名が増え自信がついてきた
時に、化粧品や肌のことをまだまだ知らないしグレーな事を伝えているのが納得いかなくなり、またプライベートでの色々もあり
また新潟へ拠点を移す。偶々募集していた田舎にはなかった美容皮膚科と併設サロンの立ち上げスタッフにならせていただき
入ってみたら私ひとりで、結局ほぼ私がサロンを立ち上げ軌道に乗る。政治家の方や医療関係の奥様、会員制サロンに。
此処での経験も本当に学びで、また鬱にもなりかけたりして最後は破壊で終わったが、結局全ては繋がっていて今のサロンに
繋がっていると理解している。少しの間、アパレル、保険の事務と、美容以外の世界も知りたくて期間限定で違う世界にも触れる。
◻︎大阪
色々がひと段落した頃。恵比寿三越時代の同僚から連絡があり大阪に店舗ができたから来ないか?と誘ってもらい
大阪へ。地震も経験し車に乗るものしか持たなくなっていたので薬局のオムツ用ダンボール数箱を宅急便で引っ越し。
mixiで出会えた子に会いに行き、そのまま少しルームシェア。この頃は音楽にハマっていて様々な人にどこでも会いにも
行っていた。大阪でも結局、店長になりメンバーは元店長や他店のベテランさんばかりで一番年下の私がなったので
立て直し的な内容だったので、先ずは断捨離から始め、整理整頓し、立ち振る舞いや技術以外を改善。メニューも
オリジナルのものにしたら成績が店舗でよくなるが、色々あり精神的に参って店長をおりるが、また此の時に、今迄の
やり方で結果が出る事、周りからは一般的ではないから、おかしいままだという事が分かり、一人でやったほうがよい人間
なんだろう。という事が見えてくる。自分しか使えない部屋をつくりアロマを焚いたり。絵を飾ったり。此の時のお客様は
今でも足を運んでくださり、変えていたことを理解して応援くださっていたのも励みに。この頃から、不思議なお客様の
指名も増える。タントラヨガを始めたのもあるのか、仕上がり方が変わり始め、また涙を流してありがとね。と言われる事も。
自分でも何が起きてるのか分からず、ヨガ講師になりたいと師に伝えると(今思えば初めて精神世界のことを聴ける人に場に出逢え
喜びに満ちていた頃)『君は世捨て人になってはいけない人だよ。剃刀でヨガをしてるのと同じ事ができている筈だよ。』という
言葉を頂き、はじめは意味がわからず断られてしまったのかと落ち込んでいると、周りのヨガ仲間がお客様として足を運んでくれる
ように。体感やフィードバックを伝えてくれ、より一層私らしい伝え方や技術について考えるように。破壊が起きてばかりだったが
全ては意味があって起きているかも?と気付き始め、様々な事を理解したく、アーサナより瞑想や哲学を学び始める。様々強まりが
あり、お抱えの施術者になってほしいとか、お客様からプレゼントをたくさんいただくようになったり、休みの日も会いたいと
言われたり、戸惑いが増えてくる中で、導いてくださるお客様も何人か現れてヒーリングやメッセージを都度都度伝えにきてくださるように。
週末や休みのたびにヨガスタジオがある京都の東山に足を運んでいた事と、メッセージがリンクして、京都に移動願いを出し(長年いた
会社で初めて移動願いを出したい🟰自分の本当の希望)京都店へ。決まると、いつも行っていた古道具屋さんのオーナーが物件を紹介して
くれ、君に合うよ。と、知恩院敷地内の不思議な場に、住む事に。中庭には、おばあちゃんがいらして、元々は女性の修行をする場所だった
とも聞いた事がある。隣からはいつも線香の香り、またオーナーのおばあちゃんは手相も四柱推命もでき、入居前に何か審査があった。
休みの日には、家のことをやる?と誘われて、おばあちゃんのお手伝いを。節目にバイト代をくださり、結婚に備えなさい。と。
まだ仕事を頑張りたい時期で模索している時に何を言ってるのか分からなかったが、そのあとすぐに今のパートナーに会う。
パートナーも一眼見ただけで、どんな人か当てる。もう、『家を出ていきなさい。戻ってきてはだめよ。』と、送り出してもらう。
其れを機に、『仕事辞めますね』と、もう、伝えていた。よく分からないけれど。其れがベストだとよく分からないまま。
パートナーと直ぐに結婚が決まる。京都にきてから自分に嘘をつかないで、ありのまま生きてる人達をみて、目が覚めた感覚になる。
◻︎結婚と妊娠と出産から独立
退社する数年前から、Flowthという、屋号はできていて、名刺も何回かつくりなおしをして、できていた。
ヨガ仲間に字の占いができる子がいて、貴方らしいよと後押ししてもらってもいたから。もうサロン勤務している
最期のほうは、私は委託でここに来ています。という振る舞いをしていた。友人知人だけでなく、有名な方にも、お会いする際には
架空の店ですが宜しくお願い致しますと名刺を配っていた。今思うと怖い。メニューやなんとなくのサロンイメージなども絵や文を
沢山描いていた。が、あたための季節に入る。心身不調で休みに入る。が、後から妊娠だった事が分かる。
同時期に武当太極拳に出逢い傾倒していく。そして台湾茶の師に出逢い、お稽古も始める。あたため期間はインプット期間。
また、パートナーのフリーランス立ち上げや事務員として動いていく。支える、裏方に。此方も、よく分からず中で
骨盤の安定して直ぐくらいの時に、兵児帯でオンブしながら近くの商工会議所へ行き、どうしたら良いか聞きに行き、
偶々担当くださった方が、伝説と言われる京都の商いをしてきた人が救われたという、おばさまだった。訳ありに思われたのか
いや、訳ありだったのかもしれないが、此の時に沢山の学びと応援して頂いて、また土台ができた。事務員なんて経理なんて
したことなかった中で、全て手取り足取り教えてくださり育ててくれた。此方もサロンに繋がっていく。息子一歳までは、
三歳神話に翻弄されながら、周りは皆んな反対したが、私が世界に出ていきたくなり、一人で保育園を探し始める。
イヤイヤ期もかなり強くなり、道に寝る息子をみて涙が止まらなくなり、膝が急に外れて救急車を呼んだのをきっかけに、
産前産後に無くなっていた感覚が戻り始め、このままだと心身がまた潰れていくと感じ、息子が一歳になる頃、保育園が決まり、
2019年にFlowth 本格的に立ち上げをする。此の時も、相談していた保育士さんのアドバイスのお陰で子供が無事に社会と繋がっていく。
フリーランスシェービニストとして老舗サロンで間借りを始める。前職の同僚が急にWebに出て来て、会いに行き、
繋いでくれた。月に一度のリハビリをしながら、少しずつ動き出すと共に事務員としての仕事も並行して進める。
間借り、イベント企画などを重ね、半年経過した頃に憧れていたフリーランスになっていたことに、気づく。
商工会議所でも変わらず相談や支援を受ける。少しづつ形になり、企画やイベントへのお誘いや、取材もしていただき
始めたばかりの間借りのFlowthが、一気に動き始める。間借りサロンも、固定のお客様そしてブライダルが増え軌道にのる。
その頃から、独立の流れがでてきて物件を探し始める。そうしたら、間借りサロンの電化製品が次々と壊れ始め、
Wi-Fiを通したらビルが壊れてしまうかもしれない話までできて、自然に離れたほうがよい現象が次々と起こる。
一年半程。物件を探すが見つからず。内覧の度に息子の体調不良に、隣から隣人さんが来て『あなたじゃない』
みたいに言われ、すごく分かりやすく現象が続いていく。ある担当者さんに、一緒に探してほしいことを伝え、
其れまでのことを話し助けてほしい、と。其処で一ツ目のFlowthに出逢う。(今の町家の東隣)条件は花のある、
おばさまが大家さんの物件。そのままの物件で、即決。友人達が助けてくれ、壁を塗り直し、古道具屋で
時間をかけて選んできたアイテムを使う。時間が空いて良かったのだと気付く。始めは、レンタルスペースとして。
イベントも施術と同じくらいサロンで開催していく。暫くして、調整作用が起り、直ぐに西隣の町家への移動の
流れが出てくる。半年後に町家に移動。オリジナルアロマとハーブティーの販売開始。プロダクトができていたことに、
数ヶ月後に、気づく。プロダクトの、卸販売や出店販売、イベントへの提供。施術では、各企業様とのコラボ企画や
他サロンへのメニュー提供、ブライダル提携でホテルさんやフリーランスプランナーさんとお仕事をしたり。
ラジオや執筆、ワークショップ開催、撮影被写体、理容試験解説等、Flowthのテーマを軸にいつの間にか越境活動。
パートナーの事務員と、子育て、軸を大事にしながら、ワクワクするものをやっていたら広がっていた。
◻︎2022年
Flowthオープン。
◻︎2023年
花祭りの日に一軒西隣の町家にてスペースを広げてリニューアルオープン。
◻︎2024年
連星が産まれる。町家の二階の空間を、お客様からヒントをいただき名付ける。
年に一度、催しで解放。
◻︎2025年
漣星に改名。此方も、お客様からヒントをいただき改名。変わらず、年に一度の解放。
◻︎2026年
月に一度、誰でもない私がメインで先ずは漣星を、と、講座開催開始。
七夕から三位一体と名付けた、新しい伴走コースが産まれる。
|職歴|
◻︎2002-2006
・サロン名…ハンサム株式会社・ハンサム理美容専門学校(全寮制職業訓練校理容科通信制 )
・施術内容…シェービング・カット・カラー・パーマ・パンチパーマ
LINK
◻︎2006-2007
・サロン名…CLIP JOINT GOD
・施術内容…ドレッド・ブレイズ・コーンロウ・
トライバルアート・カット・カラー
LINK
◻︎2007-2010
・サロン名…REV-OWN株式会社(恵比寿三越店)
・施術内容…メンズエステシェービング・シェービング.メイク.ブライダルシェービング
LINK
◻︎2010-2013
・サロン名…Dr's Skincaresalon Raffineige
(美容皮膚科併設プライベートサロン)
・施術内容…イオン導入・医療ピーリング・ドクターズコスメ販売・
アロマトリートメント・アロマ製品販売・ワークショップ・メニュー開発など
・立ち上げ・チーフ
LINK
◻︎2013-2017
・サロン名…FINI
(梅田大丸店・梅田阪急17番街店・京都大丸)
・施術内容…シェービング・ブライダルシェービング
・チーフ
LINK
◻︎2019-2022
・サロン名…Heart&Body
・施術内容…シェービング・ブライダルシェービング
・取引先...和装専門SEN様、大津プリンス様
・委託業務
LINK


